年明けからちと風邪っぽかったのですが、久しぶりにゆっくりと自分の時間を満喫できたように思います。
午前中は今日発表する原稿をまとめていたのですが、若干ぼんやりして内容がまとまらなかったので、あきらめて午後は美術館に行ってきました。
モネとジェベルニーの画家たち展。夕方に行ったので、人もまばらでちょうどよかったです。
でも最近頓に目が悪くなってきたらしく、そろそろコンタクトを考えなければなりません…;
視界がぼんやりして周りがよく見えない。
いままではメガネと裸眼をだましだまし併用していたのですが、もう見えなくて気持ち悪くなってきたので意を決する時が来たのかも…。
もしコンタクトをつけるなら、絶対カラコンにするというのが私のこだわりだったりするのですが、どこかに素敵なコンタクトはないものでしょうか^^
なんでみんな透明なの?なんでカラーコンタクトが少ないの?
あと校則とか、店のきまりとかでも染髪とか禁止ってなってるけど、なんでだろうといつも不思議に思います。
なんか、日本人は黒髪・黒い瞳にへんなこだわりがあるようですが…すごく不思議。
高校のとき、うちの学校はすごく校則が厳しいところだったのですが、「金髪・茶髪での登校禁止」という校則に対して、あるとき学生が「じゃあ地毛が金髪の人とかはどうなるんですか?入学できないんですか?」と質問をしていました。
その問いに、教師は答えられなくて、やっぱり何か凝り固まった先入観があるなーと思いました。
私自身、頻繁に髪を染めたりして遊んでいるのですが、親には「不良になった」と言われます。
外見だけで、人の精神まで変わるのでしょうか?
自分が信じる「美しいもの」を表現するのに、どうして許可が必要なのでしょうか?
黒い眼を青に見せたっていいじゃない。黒い髪を金にしたって、そんなことで私の本質が変わることはない。
みんなちゃんと分かっているのに、なんで不適合という言葉を使うんだろう。
いつまでも美しいものを追いかけていきたい。
その道のりにおいて、私がもし命を落とすことがあったとしても、たぶん悔いはないだろうなぁと思います。
あ、「美しいもの」というカテゴリーはめちゃんこ広い意味で、ただ綺麗な物だけを指す言葉じゃないです。
言葉で表すのがむずかしいのですが、とにかく違うんです。
このへん、物書きになれない悔しさがあります。だから絵をやっているのですが…まだ道はほど遠いです。
午前中は今日発表する原稿をまとめていたのですが、若干ぼんやりして内容がまとまらなかったので、あきらめて午後は美術館に行ってきました。
モネとジェベルニーの画家たち展。夕方に行ったので、人もまばらでちょうどよかったです。
でも最近頓に目が悪くなってきたらしく、そろそろコンタクトを考えなければなりません…;
視界がぼんやりして周りがよく見えない。
いままではメガネと裸眼をだましだまし併用していたのですが、もう見えなくて気持ち悪くなってきたので意を決する時が来たのかも…。
もしコンタクトをつけるなら、絶対カラコンにするというのが私のこだわりだったりするのですが、どこかに素敵なコンタクトはないものでしょうか^^
なんでみんな透明なの?なんでカラーコンタクトが少ないの?
あと校則とか、店のきまりとかでも染髪とか禁止ってなってるけど、なんでだろうといつも不思議に思います。
なんか、日本人は黒髪・黒い瞳にへんなこだわりがあるようですが…すごく不思議。
高校のとき、うちの学校はすごく校則が厳しいところだったのですが、「金髪・茶髪での登校禁止」という校則に対して、あるとき学生が「じゃあ地毛が金髪の人とかはどうなるんですか?入学できないんですか?」と質問をしていました。
その問いに、教師は答えられなくて、やっぱり何か凝り固まった先入観があるなーと思いました。
私自身、頻繁に髪を染めたりして遊んでいるのですが、親には「不良になった」と言われます。
外見だけで、人の精神まで変わるのでしょうか?
自分が信じる「美しいもの」を表現するのに、どうして許可が必要なのでしょうか?
黒い眼を青に見せたっていいじゃない。黒い髪を金にしたって、そんなことで私の本質が変わることはない。
みんなちゃんと分かっているのに、なんで不適合という言葉を使うんだろう。
いつまでも美しいものを追いかけていきたい。
その道のりにおいて、私がもし命を落とすことがあったとしても、たぶん悔いはないだろうなぁと思います。
あ、「美しいもの」というカテゴリーはめちゃんこ広い意味で、ただ綺麗な物だけを指す言葉じゃないです。
言葉で表すのがむずかしいのですが、とにかく違うんです。
このへん、物書きになれない悔しさがあります。だから絵をやっているのですが…まだ道はほど遠いです。
PR
この記事にコメントする